HORIDEATH |
【経歴】
2000年5月、SUMISANの結婚を記念して、3ヵ月限定でHORIDE以外のメンバーが再び集結、 6年振りに京都会場にて二次会LIVEを行った。 この時NAGASHIMAはベースを担当、AMASHINは馬のマスクをかぶり、AMASHIN改めUMASHIN として登場。“STAND BY ME”、“JOHNNY BE. GOOD”などの定番曲を披露し、 つめかけたファンを大い沸かせた。
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2004年3月、NAGASHIMAの結婚を記念して、前期と同じラインナップにより約4年振りに再結成を果たした。 パートはSUMISANとNAGASHIMAがベースとギターを入れ替えただけだ。 今回は披露宴のトリということもあり、各メンバーも緊迫したムードの中でのリハなしのぶっつけ本番ライヴ だった。出だしを間違えるなど、演奏はボロボロではあったが、ラストを飾った「涙そうそう」では、 NAGASHIMAの新婦へ捧げられた心のこもったアコースティックソロワークが、会場全体を曲名どおり涙そうそう状態に変えた。 |
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【オリジナルラインナップ】
★KAWATAN(vocal,kuchibue) …ガンズのアクセルローズに憧れヴォーカルを目指す。バンドの顔でありリーダー的存在。ヴォーカルの他、ドラム、ベース、 ギター、ハーモニカなどの楽器もこなすマルチプレイヤー。深夜の道路工事現場でもそのビブラートをきかせた交通整理技術が評判を呼んだ。 好きなアーティスト:GUNS'N'ROSES、THE BEATLES、TESLA、DREAM THEATER
★SUMISAN(guitar,ten-ichi)
好きなアーティスト:ERIC CLAPTON、CHUCK BERRY、SUZI QUATRO、CINNAMON
★NAGASHIMA(guitar,irankoto)
好きなアーティスト:MEGADETH、METALLICA、DEATH、EXTREME、RAGE
★HORIDE(bass,datemegane)
好きなアーティスト:TUBEなど
★AMASHIN(drum,tekken〜nina〜)
好きなアーティスト:Cocco、RAGE AGAINST THE MACHINE、MORBID ANGEL、KING CRIMSON
【ディスコグラフィー】 |
ホリデス-瀕死のバンド
ホリデス-救われぬバンド
解散せよ-練習に来ず
解散せよ-曲を覚えず
乱せよ-全体の雰囲気
非リズム的なドラミングにより
かき消せ-ババヤマギター
大音量のメタルギターにより
恐ろしくもキーの高い曲
我が瀕死の叫びを聞けヴオオオオオ・・・
(解散の呪文)
イア・ング・ンガー ヨグ・ホリデス
イア・クンゲンガー ヨゲ・ホリデス
我らはホリデス
正しく死のバンド
(デス!!)
Lyric : AMASHIN
この曲はHORIDEATHのラストナンバーとされており、ついに人前では演奏されることがなかった幻の曲である。
NameNa〜me |
are
Hata:Bass
Yamagata:Guitar
Amashin:Drum
【NameNa〜meの屈辱、そして反抗の日々】
NameNa〜meの誕生には段階的な過程がある。もともとHORIDEATHの再建に力を注いでいたKawatanがSumisanの後任ギタリストとしていわゆる
ジェル事件のブチ切れキャラクターで強烈なインパクトを残したYamagataを、そしてHorideの後任ベーシストにスリーフィンガーテクの鬼才Hataを
呼び寄せたことに始まる。元の5人編成のまま、新生HORIDEATHの活躍が期待されるかにみえたそんな矢先、彼らに予想外のアクシデントが待ち受けていた。
バンド復興の中心であった当の本人KawatanがリードギタリストNagashimaを誘い不純な動機でテニスサークルに加盟しバンドを去ってしまったのだ。
バンドは昔のプログレバンド達のよくたどり着くいわゆる「そして三人が残った」状態に陥ることになる。
この時点でバンドの主導権は自動的に唯一のオリジナルメンバーであるAmashinへと移行し、かねてからHORIDEATHの産業ロック指向に不満を抱いていた
彼はバンドをより過激な方向に転進させることを思いついた。その方向性は残されたメンバー達各々のその時の現状からも窺い知ることができる。
ジェル事件以来体制側に強い怒りを抱いていたYamagata、元は体制側に身をおいていていたがそこから脱落してきたHata、
反抗的な態度により以前から幹事達の目の仇にされていたAmashin、その彼らが醸し出す音楽性は反抗のロック、すなわち体制側に対する不満を一気に爆発させる形となった。
そしてバンド名も改名されてハードコアパンクバンドNameNa〜meが誕生する。
NameNa〜meというバンド名はもともと彼らの持曲である“Subliminal”のサビのコーラス部分「Nightmare!!Nightmare!!(ナメナメ!!と聞こえる)」
という掛け声をもじったものであるという。体制側に牛耳られた悪夢のようなサウスセッツシーンに殴りこみをかけたという意味でまさに彼らにとって
うってつけのバンド名であったといえる。
体勢を整えた新バンドNameNa〜meは1994年5月から本格的な活動に入り、初めはバラつきがあった彼らのプレイも夏の鍛錬期を軸にメキメキと上達し、
サポートヴォーカリストにYAMATATSU、CODA(現春夏秋冬のKey)らを向かえ挑んだ夏の志賀高原フェスではオーディエンスに
その圧倒的な怒涛のライヴパフォーマンスを見せつけた。特にHataのスリーフィンガーが織り成す速弾きにして時折ファンキーに弾き出す
ベーステクニックは地元の評判を呼んだ。この時点ではNameNa〜meはこのまま成功の表街道をまっしぐらに突き進むかにみえた。
しかし体制側が不気味なアプローチをかけてきたことにより、強力だった彼らの結束に陰りが見え始める。
当時の体制側の幹事長が指揮権を全面的に委ねるという約束でAmashin、Yamagataに新プロジェクトO' Machine Yamagataなる混合ユニット
を立ち上げる話を持ち掛けてきたのであった。しかし活動を通じてAmashinは自分の意見が僅かしか反映されなかったことに激しい憤りを
感じ、ますます体制側に対する反骨精神を増幅させる結果となった。一方Yamagataの方は彼女ができたことで結成当時より心がオープンに
なっていたこともあり、次第に体制側へと取り込まれるようになっていった(この事は後に彼が副幹事長の座を獲得したことと大いに関係があるといわれている)。
Amashinはこの時「あのプロジェクトは体制側の卑劣なる陰謀だ。奴らに魂を売り渡したYamagataには失望したよ。」というコメントを残しており
サウスセッツ界では密かに彼らの不仲説が囁かれ始める。
そしてサウスセッツ州の秋の最大のフェスティバル、サウスセッツ祭でのAmashinと体制側との間で起きたトラブルがバンド分裂を決定させることになった。
バスの遅れが原因で初日のサウスセッツ祭の打ち合わせに遅れたAmashinに対して体制側の幹事達が屈辱的な制裁を浴びせてきたのだ。この時点でAmashinは
我慢の限界に達し、この腐敗したサウスセッツシーンを離れるためバンドを去ることを決意する。2日間のライヴは滞りなく行われたがライヴ終了後Yamagata
自身もサポートヴォーカリストを雇わないと成り立たないこのバンド維持にいい加減限界を感じていた。
この2人の心境の異変が結局NameNa〜meのさらなる進展を信じて疑わなかったベーシストHataを裏切る結果となった。
しかしながらNameNa〜meのラストライヴとなったサウスセッツ祭での彼らのパフォーマンスはこれまで以上の凄まじいものとなった。
オーディエンス達はモッシュの渦を作り、食堂ライブ会場の外にいたスケーター達は彼らの音を聞きつけスケートボートを持ったまま会場に
飛び入りしてくるなど異常な盛り上がりを見せていた。崩壊寸前の彼らの現状が音となって現れた正に伝説的なライブとなったのである。
それはあたかも彼らが体制側に見せつけた最期の反抗であるかのようだった。
ライヴ終了後Amashinは脱退を表明、NameNa〜meは事実上解散となった。その後Yamagataは体制側の副幹事の座におさまり(ちなみに幹事長はCODA)、
Amashinは地元宇治市でAKI'S BAND(仮)を結成する。Hataは渡り型ベーシストとして様々なプロジェクトに参加するようになっていった。
後にAmashinはYamagataとは和解したが、Hataとの間にできた大きな溝は未だ埋まってはいない。