〜サウスセッツ・ヘヴィ・メタル界の帝王〜
HORIDEATH

※デスメタルではありません

緊急報告!!2004年2月!!HORIDEATH再々結成(1ヵ月限定)!!3月6日千里阪急ホテルにてLIVE!!

【経歴】

<第T期>

'93年広島から大阪へ移ってきたHORIDEを中心にサウスセッツ大学にて結成。 同年のサウスセッツ祭でオープニングアクトを務め、そこで“It's So Easy”で輝かしいデビューを果たす。 その経営情報学と電気工学との融合が生んだ新感覚のヘヴィ・メタルサウンドにより知る人ぞ知る存在となった。 サウスセッツ州のポップバンドA-Sexと共にツアーを行い、「前来いやオラ!」という衝撃的なMCでオーディエンス をビビらせA-Sexをくってしまったことは有名。しかしその後リーダーでありダテメガネであるHORIDEが音楽性の違いで他のメンバーと対立。 '94年3月SUMISANが脱退しバンドは分散状態となる。HORIDE以外のメンバーは密かにタッピングの鬼才といわれるベーシストHATA、 SUMISANの後任ギタリストとしてYAMAGATAを呼びよせHORIDELESSなる新バンドを結成させるとか何やらで 話題を呼んだが実現されるには至らなかった。その後HORIDEは文化委員会、KAWATAN、NAGASHIMAはテニスサークルに移籍、 AMASHINはHATA、YAMAGATAらと共にNameNa〜meを結成、SUMISANは天一ラーメンへ通うなどそれぞれの道を歩んでいった。

練習風景

<第U期>

2000年5月、SUMISANの結婚を記念して、3ヵ月限定でHORIDE以外のメンバーが再び集結、 6年振りに京都会場にて二次会LIVEを行った。 この時NAGASHIMAはベースを担当、AMASHINは馬のマスクをかぶり、AMASHIN改めUMASHIN として登場。“STAND BY ME”、“JOHNNY BE. GOOD”などの定番曲を披露し、 つめかけたファンを大い沸かせた。

<第V期>

2004年3月、NAGASHIMAの結婚を記念して、前期と同じラインナップにより約4年振りに再結成を果たした。 パートはSUMISANとNAGASHIMAがベースとギターを入れ替えただけだ。 今回は披露宴のトリということもあり、各メンバーも緊迫したムードの中でのリハなしのぶっつけ本番ライヴ だった。出だしを間違えるなど、演奏はボロボロではあったが、ラストを飾った「涙そうそう」では、 NAGASHIMAの新婦へ捧げられた心のこもったアコースティックソロワークが、会場全体を曲名どおり涙そうそう状態に変えた。

【オリジナルラインナップ】
KAWATAN(vocal,kuchibue)
…ガンズのアクセルローズに憧れヴォーカルを目指す。バンドの顔でありリーダー的存在。ヴォーカルの他、ドラム、ベース、 ギター、ハーモニカなどの楽器もこなすマルチプレイヤー。深夜の道路工事現場でもそのビブラートをきかせた交通整理技術が評判を呼んだ。

好きなアーティスト:GUNS'N'ROSES、THE BEATLES、TESLA、DREAM THEATER

SUMISAN(guitar,ten-ichi)
…メンバーの中では一番の技術を有していたが、曲を覚えてこない問題児で、ギターを弾くことよりも3度の天下一品ラーメン を食うことが好きなこってり派イーター。テニスがうまく、ブラックサバス好きな母を持つ。

好きなアーティスト:ERIC CLAPTON、CHUCK BERRY、SUZI QUATRO、CINNAMON

NAGASHIMA(guitar,irankoto)
…口左上のホクロがトレードマークのリードギタリスト。HORIDEATHを摂南のメタルゴッドと言わしめたそのメタリックなギターワークは しばしばSUMISANの繊細なギター音をかき消すほどの凄まじさを放っており、ダウンピッキングの速さにかけては右に出る者はなかった。 ビリヤード、手品はギター以上のテクニックを持っているともいわれている。

好きなアーティスト:MEGADETH、METALLICA、DEATH、EXTREME、RAGE

HORIDE(bass,datemegane)
…バンドのリーダーとされていたが、本人は「名義を貸しただけ」と言いはる。ベテランだけに安定したリズム感を 有していたが、もともと邦楽好きで洋楽派の他のメンバーとはソリが合わなかった。晩年ダテメガネをかけたり、五弦ベースに持ちかえたりなど、 ヴィジュアル面を意識しだしたことがバンド解散の引き金になったといわれている。

好きなアーティスト:TUBEなど

AMASHIN(drum,tekken〜nina〜)
…リズム感が悪いことからバンドのガンと言われていたが、ライヴではスティック折り、スティック落としなど、 その力強い破壊的なドラミングが圧倒的存在感を放っていた。音楽のうんちくにかけてはメンバーいち。Coccoから授かった ラヴレンジャー32号の肩書きを持つ。

好きなアーティスト:Cocco、RAGE AGAINST THE MACHINE、MORBID ANGEL、KING CRIMSON

【ディスコグラフィー】
データなし

HORIDEATHのテーマ

ホリデス-瀕死のバンド
ホリデス-救われぬバンド
解散せよ-練習に来ず
解散せよ-曲を覚えず
乱せよ-全体の雰囲気
非リズム的なドラミングにより
かき消せ-ババヤマギター
大音量のメタルギターにより
恐ろしくもキーの高い曲
我が瀕死の叫びを聞けヴオオオオオ・・・
(解散の呪文)
イア・ング・ンガー ヨグ・ホリデス
イア・クンゲンガー ヨゲ・ホリデス
我らはホリデス
正しく死のバンド
(デス!!)

Lyric : AMASHIN

この曲はHORIDEATHのラストナンバーとされており、ついに人前では演奏されることがなかった幻の曲である。


〜サウスセッツ界を揺るがした伝説のハードコアバンド〜
NameNa〜me

are
Hata:Bass
Yamagata:Guitar
Amashin:Drum

【NameNa〜meの屈辱、そして反抗の日々】

NameNa〜meの誕生には段階的な過程がある。もともとHORIDEATHの再建に力を注いでいたKawatanがSumisanの後任ギタリストとしていわゆる ジェル事件のブチ切れキャラクターで強烈なインパクトを残したYamagataを、そしてHorideの後任ベーシストにスリーフィンガーテクの鬼才Hataを 呼び寄せたことに始まる。元の5人編成のまま、新生HORIDEATHの活躍が期待されるかにみえたそんな矢先、彼らに予想外のアクシデントが待ち受けていた。 バンド復興の中心であった当の本人KawatanがリードギタリストNagashimaを誘い不純な動機でテニスサークルに加盟しバンドを去ってしまったのだ。 バンドは昔のプログレバンド達のよくたどり着くいわゆる「そして三人が残った」状態に陥ることになる。
この時点でバンドの主導権は自動的に唯一のオリジナルメンバーであるAmashinへと移行し、かねてからHORIDEATHの産業ロック指向に不満を抱いていた 彼はバンドをより過激な方向に転進させることを思いついた。その方向性は残されたメンバー達各々のその時の現状からも窺い知ることができる。
ジェル事件以来体制側に強い怒りを抱いていたYamagata、元は体制側に身をおいていていたがそこから脱落してきたHata、 反抗的な態度により以前から幹事達の目の仇にされていたAmashin、その彼らが醸し出す音楽性は反抗のロック、すなわち体制側に対する不満を一気に爆発させる形となった。 そしてバンド名も改名されてハードコアパンクバンドNameNa〜meが誕生する。
NameNa〜meというバンド名はもともと彼らの持曲である“Subliminal”のサビのコーラス部分「Nightmare!!Nightmare!!(ナメナメ!!と聞こえる)」 という掛け声をもじったものであるという。体制側に牛耳られた悪夢のようなサウスセッツシーンに殴りこみをかけたという意味でまさに彼らにとって うってつけのバンド名であったといえる。
体勢を整えた新バンドNameNa〜meは1994年5月から本格的な活動に入り、初めはバラつきがあった彼らのプレイも夏の鍛錬期を軸にメキメキと上達し、 サポートヴォーカリストにYAMATATSU、CODA(現春夏秋冬のKey)らを向かえ挑んだ夏の志賀高原フェスではオーディエンスに その圧倒的な怒涛のライヴパフォーマンスを見せつけた。特にHataのスリーフィンガーが織り成す速弾きにして時折ファンキーに弾き出す ベーステクニックは地元の評判を呼んだ。この時点ではNameNa〜meはこのまま成功の表街道をまっしぐらに突き進むかにみえた。
しかし体制側が不気味なアプローチをかけてきたことにより、強力だった彼らの結束に陰りが見え始める。
当時の体制側の幹事長が指揮権を全面的に委ねるという約束でAmashin、Yamagataに新プロジェクトO' Machine Yamagataなる混合ユニット を立ち上げる話を持ち掛けてきたのであった。しかし活動を通じてAmashinは自分の意見が僅かしか反映されなかったことに激しい憤りを 感じ、ますます体制側に対する反骨精神を増幅させる結果となった。一方Yamagataの方は彼女ができたことで結成当時より心がオープンに なっていたこともあり、次第に体制側へと取り込まれるようになっていった(この事は後に彼が副幹事長の座を獲得したことと大いに関係があるといわれている)。 Amashinはこの時「あのプロジェクトは体制側の卑劣なる陰謀だ。奴らに魂を売り渡したYamagataには失望したよ。」というコメントを残しており サウスセッツ界では密かに彼らの不仲説が囁かれ始める。
そしてサウスセッツ州の秋の最大のフェスティバル、サウスセッツ祭でのAmashinと体制側との間で起きたトラブルがバンド分裂を決定させることになった。
バスの遅れが原因で初日のサウスセッツ祭の打ち合わせに遅れたAmashinに対して体制側の幹事達が屈辱的な制裁を浴びせてきたのだ。この時点でAmashinは 我慢の限界に達し、この腐敗したサウスセッツシーンを離れるためバンドを去ることを決意する。2日間のライヴは滞りなく行われたがライヴ終了後Yamagata 自身もサポートヴォーカリストを雇わないと成り立たないこのバンド維持にいい加減限界を感じていた。
この2人の心境の異変が結局NameNa〜meのさらなる進展を信じて疑わなかったベーシストHataを裏切る結果となった。
しかしながらNameNa〜meのラストライヴとなったサウスセッツ祭での彼らのパフォーマンスはこれまで以上の凄まじいものとなった。 オーディエンス達はモッシュの渦を作り、食堂ライブ会場の外にいたスケーター達は彼らの音を聞きつけスケートボートを持ったまま会場に 飛び入りしてくるなど異常な盛り上がりを見せていた。崩壊寸前の彼らの現状が音となって現れた正に伝説的なライブとなったのである。 それはあたかも彼らが体制側に見せつけた最期の反抗であるかのようだった。
ライヴ終了後Amashinは脱退を表明、NameNa〜meは事実上解散となった。その後Yamagataは体制側の副幹事の座におさまり(ちなみに幹事長はCODA)、 Amashinは地元宇治市でAKI'S BAND(仮)を結成する。Hataは渡り型ベーシストとして様々なプロジェクトに参加するようになっていった。 後にAmashinはYamagataとは和解したが、Hataとの間にできた大きな溝は未だ埋まってはいない。


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